ふくだのぶろぐ!

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黒ずくめの男に後頭部殴られた話

急に世界は暗転した。一瞬、後頭部に激痛が走ったように感じたが、数秒後にはどうでもよくなっていた。


朦朧とした意識の中で自分に明らかな殺意が向けられていることがわかった。そして、彼らの会話を聞くに、それは「組織」の開発した毒薬によって実行されるようだった。彼らは俺の口を開かせ、カプセルを雑に流し込んだ。


身体も、頭も、ほとんど動かなかった。


彼らはたち去り際になにか捨て台詞を残して言ったようだったが、俺の耳はもうほとんど機能していなかった。

 


身体が、熱い。

 


****

 


俺はなぜか砂漠をただ歩いていた。目の前にはまっさらな砂と空だけが広がっていた。ただそれだけだった。意味不明だと思った。この空間が現実の世界でないことはすぐに察しがついた。

 


眩しいくらいに陽が照っているのに、全くと言っていいほど気温を感じない。足を進めても、砂を踏んでいる感覚もなかった。それに、輪郭のあることほとんど考えられなかった。砂漠から抜け出さなきゃいけない、とだけ思っていた。俺は機械的に前に進んだ。いや、俺はもしかしたら後ろにすすんでるのかもしれなかった。もうどの方向から歩いて来たのかも分からなくなっていた。時々後ろを振り返ったが足跡は残っていなかった。

 

 

 

目の前の砂漠と曖昧な思考が同化して、次第に周りがみえなくなった。そんな時この文脈に関係のないフランツカフカの「変身」のことが頭に浮かんだ。本当にそのことが、不意に浮かんだのだ。

 


カフカの「変身」はかなり前に一度だけ読んだ本だった。「変身」は主人公のグレゴールが朝目覚めたとき、自分が巨大な虫になってしまったことに気づいたところから始まる。グレゴールは突然なことに戸惑うが次第に状況になれてくるとベッドの中で自分の仕事に対する不満を思ったりする。その後たしか家族に自分の姿を曝け出して母親の腰を抜かせる、ことになるのだがその先の内容は覚えていない。

 


というより、その先は読んでいないのだ。なぜ中途半端に読むのを辞めたのか、その理由さえ思い出せない。

 


「変身」の続きを、自分の想像で補完して考えるのが好きだった。最初は、いわゆる「カエルの王様」みたいなハッピーエンドを想像した。だけど、そんな誰もが思いつくような物語なわけがないと思った。だから虫として生きることを決意したグレゴールや毎日違う生き物に変わってしまうグレゴールを想像したりした。

 


またある時は感染症みたいに虫に「変身」してしまう人が増えていく、という地獄のような想像もしたことがある。

 


どれもカフカが書きそうな筋の物語には思えなかった。実際、俺が考えたのは幼稚な背景設定だったが、それをうまいことカフカ風に言語化するのが楽しかった。これを毎晩寝る時、目を閉じてから習慣的に行なっていた。それが理由なのか自分でもわからなかったが、俺は「変身」の続きを読もうとしなかった。

 

時折、朝目覚めたとき、自分の手や顔が細かくてぐちゃぐちゃした気持ち悪い造形になっていたらどうしようと不安になったりした。

 


そのうち、高校に入学してからだっただろうか。俺は探偵稼業に夢中になった。新たな友人も出来た。気づけば「変身」やグレゴールのことは、まるでジンジャエールから抜けていく炭酸ガスみたいに俺の意識からすっかりなくなってしまっていた。

 


このまま死んでしまうなら、親父の本棚から「変身」を見つけてさっさと続きを読んでしまえば良かったと、心底やるせない気持ちになった。

 

****


相変わらず砂漠からは抜けられそうになかった。随分あるいたような気がしたが、景色は少しでも変わったように思えなかった。この世界には砂漠以外は存在しないのでは?ととさえ思った。しかしその疑問を解消する方法は思いつかなかった。だから俺はただ歩いた。分からないから歩くしかなかったのだ。

 


楽感的な気持ちにも憂鬱な気持ちにもならなかった。しばらく、足を動かし続けると俺はこの砂漠の世界から抜けられそうだとなんとなく感じた。いつも睡眠から覚醒するときに感じている、あの感覚だ。

 


確か黒ずくめのやつに毒薬を飲まされたのを覚えている。だからおそらく、毒がまわってきたのだろうと思った。この感覚の後におそらくおれは死ぬのだ。こんなところで死んでしまうのは悔しい気持ちもある。けれど、もうどうでもよかった。ある種前向きにこの状況を諦めていた。笑いさえ込み上げてきた。考えてもしょうがないと思った。

 


それに、この自分の意識が全くの無になってしまうなんて想像出来なかった。死後の世界を信じたことは一度もなかったが、この自我を保ったまま、またどこかへ行けそうだったのだ。それに実際、そのときはやってきた。

 


「おーい!ちょっと来てくれ!誰か死んでるぞ!」

 


やはり俺は死んでしまっていたのか。男の声と、デジタルでポップな音楽が遠くで流れてるのが聞こえた。同時に、無限に続くとさえ思われた砂漠は瞬く間にその姿を消して、視界は暗闇に覆われた。

 


音が聞こえてくると、五感すべてが勢いよく回復するのを感じた。頭がかち割れるほどの激痛を感じた。そして血の味と匂いがして、身体は気だるい感じがして、ほとんど動かせなかったが、なぜかまるで重さがなくなったみたいに軽かった。

 


目の前にいると思われる男はさらにこう続けた。

 


「いや、まだ息はある!救急車だ!救急車を呼べ!」

 


生きてる、、、?

 


目を開くと何人かの警官が懐中電灯の光をこっちに向けてるのがわかった。

 


「おいしっかりしろ。大丈夫か?」

 


生きてる。生きてるぞ!あの薬は人間には効かなかったんだ。ざまあ見やがれ。あの黒ずくめの悪事を、みんなバラしてやる!

 


しかしそれにしても、身体のようすがおかしくないか?こんなに洋服ダボダボだったか、、?

 


この疑惑は俺にまたグレゴールのことを思い出させた。自分の身体が虫になってないことだけ確認して、俺はふうっと息を吐いた。

 


さっきまで着ていた服が明らかに大きく思えること、この感覚、薬を飲まされ骨が溶けるような熱さを感じたこと、これらの要素が俺の中である1つの結論を導こうとしていた。幸いにも、というべきなのか、血の気が引いていくのを感じた。

 


「立てるか?ボウヤ?」

 


警官は穏やかに、ゆっくり、言葉を発した。彼は精一杯笑って見せたがその一連の動作が俺をいっそう不安にさせた。